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エイチ・ツー・オー リテイリング株式会社
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阪神百貨店のあゆみ

創業期 阪神マート時代 昭和初期〜28年

大阪市は、大正末から殺風景な商都の玄関、大阪駅の整備、近代化に取り組みました。その一環として、阪神電鉄も西梅田の終点から東へ延長し、新設する大阪市地下鉄と結ぶこととなりました。

阪神電鉄はその巨額の費用を百貨店経営によって回収するため、御堂筋に面した駅前東北隅に2,300坪の土地を取得、昭和12年3月、地上8階、延べ2万余坪の梅田阪神ビルの建設に着手したのです。 直後、日中戦争が起こり、鉄鋼使用制限などの戦時統制のため、ビルの建設は当初計画の3分の1、4階建ての扇形ビルに縮小を余儀なくされました。

昭和10年(1935)の大阪駅前風景。激しい獲得競争の末に取得した阪神百貨店の現在地です。
昭和18年(1943)、地下1階だけの阪神マートの売場風景と当時の店員の服装です。

阪神マート開業当時の包装紙デザイン。阪神電鉄の社章と電車の複線レールを組み合わせたものでした。

阪神電鉄は、乗降客の利便をはかるため、百貨店経営への進出に先立って、昭和8年3月、旧梅田停留場に阪神マートを開業しました。その後、地下延長線の完成と同時に現在の阪神百貨店の地下1階に該当する部分に拡張開店しましたが、戦時統制経済の強化にともない、苦しい営業を強いられました。
そして敵性語としての「マート」の使用を国から禁止され、「阪神地下大店」と改称したのもこの頃でした。

戦後、昭和21年に戦前から親しまれていた「阪神マート」に改称し、26年11月、売場面積2,000坪の小規模ながら「阪神百貨店」と店名を改めました。
そして、地下1階北側通路に「全国銘菓名物街」を、1階売場には「阪神甘辛のれん街」などの新機軸を打ち出しました。

昭和26年(1951)9月に開設した「全国銘菓名物街」は、旅行者にとって重宝な存在になりました。
昭和20年代初期の阪神ビル周辺の写真です。
昭和27年(1952)11月15日に阪神ビル1階に開設された阪神甘辛のれん街です。
京阪神の有名店が一堂に集まり、当時としては画期的な試みで人気を呼びました。

その後、阪神電鉄は戦前からの懸案である阪神梅田ターミナル開発の実現のため、梅田阪神ビル(現、大阪神ビル)の建設と本格的な百貨店計画の実現を目指したのです。

昭和20年代中期から29年(1954)まで使用した包装紙です。
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初期成長期 ターミナル百貨店へ 昭和29年〜38年

昭和30年(1955)・阪神百貨店の売場です。

この頃、阪神電鉄は本格的な百貨店建設の準備を始めました。鉄道運輸とは事業の内容が全く異なる百貨店部門を分離独立させ、昭和32年4月「株式会社 阪神百貨店」を設立し、6月から新会社として営業を開始しました。

内外の業界事情を考究して編み出した階単位の「ラインズ・ロビング・システム」により、独特の売場を構築、既存の問屋系列とはひと味違う専門店・有名店の商品を動員して、ユニークなターミナル百貨店として成長しました。

昭和33年(1958)9月、ニューヨークのコーヒーショップに発想を得た、合理的な対面式の軽食堂が人気を呼びました。
増床工事を進め、36年1月「大阪神ビル」と改称、昭和38年6月、大阪梅田1番地に西日本最大のビルとして全館完成しました。
その床面積の3分の2を阪神百貨店が使用することになりました。
昭和32年(1957)6月1日・(株)阪神百貨店の営業開始を期してグリーンに変更した包装紙で後に透かし入りも使用されました。
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加速的成長期 大阪神ビルの全館百貨店化 昭和39〜49年

大阪地区の各百貨店が万国博を目がけて、増床、多店舗化を進める中にあって、大阪神ビルの全館百貨店化を決意しました。

昭和42年には株式を大証第二部へと上場、44年には同第1部への指定を受けました。

昭和49年11月には、戦前の構想を上回る百貨店の実現を果たし「若いみどりに赤いまごころ New Wave Hanshin」をテーマに拡張開店しました。

昭和39(1964)10月1日クレジットカード発行
昭和40年(1965)3階ジュニアアクセサリー売場
昭和42年(1967)3階婦人手袋売場の開店直前の風景
昭和46年(1971)近代的な4階デザインルーム
昭和46(1971)4月8日に発行された個人用(A式)のクレジット
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成長から成熟期へ ストア・リフレッシュ 昭和50年〜59年

大規模な商業施設が次々と集積される梅田地区の環境変化に対応し、新しい時代に通用する新しい都市型百貨店への脱皮をめざし、全社挙げて「ストア・リフレッシュ」を敢行しました。

昭和52年(1977)、CI(コーポレート・アイデンティティー)ビジュアル委員会が発足し、新しい阪神のCIについて検討、昭和53年(1978)、制定しました。
関西の百貨店業界でも初めてのことで、今回の第1次ストア・リフレッシュのタイミングで、包装紙、ショッピングバッグ、封筒、印刷物にCIデザインを使用しました。このため、イメージ戦略は抜群の好評を得ました。

昭和55年(1980)、第2次ストアリフレッシュ、昭和58年(1983)には第3次ストアリフレッシュが完了し、阪神百貨店は異質化、差別化の戦略で起死回生の成功を収めました。

昭和53年(1978)10月5日の華やかなストアリフレッシュのオープンセレモニー風景
4階売場風景
昭和50年代の会社案内「阪神のあらまし」
インクローバーと名付けられた1階婦人雑貨コーナー
ストアシンボルをデザインした包装紙
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成熟期から再成長期へ リ・グロース 昭和60年〜現在

昭和60年(1985)阪神タイガースリーグ優勝記念セール初日の様子です。
阪神タイガースの優勝を報ずるスポーツ紙と記念セールの販売物品
同セールの5階呉服売場
平成14年(2002)10月、阪神百貨店の外壁をリニューアル工事が完成しました。
大阪の玄関口にふさわしい高級感のあるストアイメージになりました。
平成15年(2003)、阪神タイガース2003セ・リーグ優勝記念セールの様子です。
平成15年(2003)3月、阪神西宮駅商業施設[エビスタ西宮]内に「阪神・にしのみや」を 開業しました。
平成17年(2005)、阪神タイガース2005セ・リーグ優勝記念セールの様子です。

平成17年(2005)9月、阪神電気鉄道株式会社との株式交換に伴い、大阪証券取引所市場において株式の上場廃止を行いました 。

平成17年(2005)10月1日、株式交換により阪神電気鉄道株式会社の完全子会社化となりました。

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